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    ―― 夕子 ――

 夕子は一人、見知らぬ旅館の一室にいた。
 服は制服。長い髪はおさげに。
 荷物は、よそ行きの服が一枚と、数枚の下着、そして両親の小さな位牌。それを包んだ風呂敷包みがひとつ。
 夕子はそれを胸に抱え、声をあげずに泣いていた。
 夕子は売られてしまった。
 両親が亡くなってすぐやってきた親戚達は、夕子を邪険にし、人買いに売っ払ってしまったのだ。両親の借金がなどと色々理由をつけて。
 ただ、今の状況は親戚達だけの考えではなかった。夕子はどうしてか、自分は人買いに売られてしまった方がいいと思ったのだ。
 自分から、身を捨てると言い出したのだ。
 自分でも、どうしてそのような事に首を縦に振ってしまったのか、わからなかった。だから泣いていた。自分の躰から水分がなくなってしまってもいいと思い、泣いていた。
 薄く明りの入ってくる障子が開いた。
 そこから顔を出したのは、温和な顔をした人買いの男だった。

「まだ泣いてんのかい?」

 男は優しく夕子に言う。
 だが、夕子は声を出して答える事は出来なかった。

「あのね、君に興味があるって人がね、きてんだよ。でね、その泣いてる顔じゃあ、買って貰えないから。だから、お風呂使ってきてくれる?」

 男はそう言って、夕子にタオルと小さな、しかし良い香りのする石鹸を渡した。

「……逃げるかも…しれないよ…?」

 夕子は最後の抵抗のように、涙にかすれた声で言う。

「それはないでしょう? だって君、もうどこも行くとこないんだから」

 男の言う通りだった。男は夕子の生い立ちをすべて知っていた。だから夕子に自由を与える事が出来るのだ。
 夕子は手の甲で軽く目を擦ると、抱えたタオルに鼻から下を押しつけ、部屋を出た。

「まあ…あの人だったら、そんな悲惨な事にはならないと思うけどね……」

 夕子にかけるべき言葉だが、夕子の姿が見えなくなってから人買いは呟いた。



 風呂からあがった夕子は、再びその長い髪をふたつに三つ編みにし、制服をき
ちんと着て、鏡の前に立った。
 これから「商品」になってしまう、自分の躰。
 そんな価値が本当にあるのかどうかもわからない、自分の躰。

「ふう…」

 夕子は軽くため息を吐くと、背中を丸め、風呂場を出た。



 夕子が部屋に戻ると、人買いが示していた客がもうそこにいた。
 頭髪を丸め、坊主にしているが、坊主とは違う。世俗の闇に塗れたその雰囲気は、どこか普通の人間より砥ぎ澄まされているようにも見えた。
 それは、五感に訴えるひとつ、目を丸いサングラスで覆っているせいだろうか。
 その男はきちんと背筋を延ばして、座布団の上に正座をしていた。

「ほう」

 男は入ってきた夕子を見つめ、感嘆の意を込めた声をあげた。

「なるほど……これなら、ご隠居も納得なさるでしょう」

「それでは、商談成立ですね。えーと、この子の金額はこんなモンなんですが」

「わかりました」

 サングラスの男はそう言って、人買いの提示した額の金を懐から出した。

(これが私の金額なんだ〜…)

 夕子はその金のやりとりを、夢の中の出来事のように見つめていた。

「それでは……」

 人買いの男はサングラスの男に会釈をすると、その部屋を出た。
 夕子には最後まで商品として接する為か、夕子に声のひとつかける事なく。

「さて」

 ぼんやりと人買いの背中を眺めていた夕子に、サングラスの男が声をかけた。

「これであなたは、わたくしの主のものとなりました」

「ある…じ?」

「はい、わたくしの名前は、タマネギと言います。そして、わたくしの主は山本一発。そして、あなたの真の主は、そのお方のお孫さんの悪司さんです」

「……変な…名前〜」

「そうですね。ですが…神原夕子さん…でしたね、あなたがこれから行く場所で、そのような不遜を声にしてはいけません。あなたは買われたのですから」

 夕子はタマネギの静かに響く言葉を、遠くで鳴る鐘の音のように聞いていた。

「あなたを買う条件のひとつに、処女であるという事がありました。それに間違いはないですね?」

「………はい…」

「では、性的な男の扱いについては?」

「まったく……わかんないです…」

「わかりました。では、知識はわたくしがつけて差し上げます。それをあなたは、悪司さんに使って差し上げて下さい。あなたには処女のまま、悪司さんの性の教育係になって頂きます」

「………えっ……」

「わたくしに任せなさい。そしてそれが完了した時、あなたはわたくしより高い地位の者になる。あなたは人に買われた身でありながら、傅かれる事となるのですよ」

「……わかん…ないです……」

「それはこれから理解して頂きます。さあ……」

 夕子は音もなく差し出されたタマネギの手を取った。



「じーさん、じーさん」

 少年がバタバタと縁側を走っている。

「ここじゃ、悪司。何を騒いどる」

 障子が開き、白い髭の老人、一発が姿を現した。

「じーさんの言う通り、あのデブのガキ大将、ノシてやったぜ!」

「そうか、よくやった」

「さあ、約束だ! ご褒美くれよ!」

「よかろう。少し待つがええ。タマネギ、タマネギ!」

 そうしてタマネギが呼ばれ、三十分程してから、悪司は一発の部屋に呼ばれた。

「いいか、悪司。これから渡す褒美は、お前に色々と教えてくれる。それをどう生かすか考えて、褒美を使うといい。飲まれるな、飲み込め。それがお前の一人前になる第一歩だ」

「何の事かわかんねーよ、じーさん。いいから早くくれ、褒美、褒美、ほーうーびー!!」

「わかったわかった。そこの襖を開けるとええ。そこに入っておる」

 悪司は一発がそう言うか早いか、勢いよく、襖を開けた。
 その中には褥がひとつ。
 そしてその上には、白装束を纏った髪の長い女がいた。
 横を向いている女は、ゆっくり悪司を見る。そして優しく微笑んだ。




「じーさん…褒美って…」

「女じゃ。お前のモンじゃ、悪司」

「俺の……モノ?」

「そうじゃ。お前はこれを使って、女の扱いを覚えろ。一人前になる為にの。この女はお前のすべてを受け入れる。いい事も悪い事もな」

 悪司は一発の言葉に生唾を飲んだ。

「さあ、この娘の処女はお前が散らし、この綺麗な躰に、お前が刻印をつけろ」

「い、いいのかい? 俺が……」

「良いな? 夕子」

 夕子は悪司と一発の方に躰を向けると、三つ指をつき、深々と頭を下げた。

「不束者ですが、よろしくお願いします」

 薄明かりの中、白いうなじが見える。悪司はそこに釘付けになった。
 一発はそんな悪司を置き、襖を閉めた。
 やがて、細く、甘い声が響き出す。その声はぎこちなく、そして、どこか悲しげだった。